裁量労働制の拡大は誰のためのもの?
裁量労働制の拡大の議論が進んでいます。議論を見ていると「働かせ放題」と批判が出る一方、裁量労働制の拡大を求める意見もあります。そもそも、裁量労働制の議論が混沌とし議論が並行線となってしまう理由は、どこにあるかご存じでしょうか?裁量労働制の議論がかみ合わない根底にある理由は、私たちに対して「自分のありかた」を問いかけてきます。
裁量労働制の適用拡大が混沌とする理由
「働いている人」の中には、決められたことを決められたように処理する「作業の人」と、いまの仕組みをより良くなるには?と問いを立てて、組織や自分自身の業績向上を目指す「仕事の人」がいます。裁量労働制の対象は「後者の仕事をする人」であって、前者の「作業をする人」はそもそも対象外であって当然です。
裁量労働制の議論が混沌となる問題の所在がどこにあるのか思いを巡らせると、ホワイトカラーのいわゆる事務系の職種の人のなか中に、「仕事をしているつもりだけど、実は作業をしている人」が一定数いること」と、「そもそも”仕事をする人”と”作業をする人”が区分しきれていない」ことが原因にあるように見えます。
「働かさせ放題」は本当に成立するのか?
裁量労働制の批判の中に、「働かさせ放題」と言う意見があります。しかし、本当に裁量を持って働いているならば、そのような実態として裁量を与えず「仕事させ放題」を求めるような会社は辞めてしまい、自分の裁量を認める企業に転職するべきです。むしろ「仕事をする人」である以上、理不尽に「仕事させ放題」と言われたままにするのではなく、会社から三顧の礼をもって「会社に残って欲しい」言わせるのが「仕事の人」の目指す姿です。
また、「作業の人」であっても同じく、そもそも作業を求められているのですから、裁量という概念は生まれません。それにも関わらず裁量労働を求めてくる会社に義理を果たす必要はなく、新天地を求めていくべきです。
「働く」の”そもそも”に立ち返る
そもそも「働く」は、独力で意思決定ができる大人が、自由な意思の下で合意した契約です。合意できないなら契約を継続しなければ良いだけであり、不満を言いつつも会社を去るという選択肢を取らない以上、消極的な意思決定であれ、少なくとも労働条件に合意しているのですから、「働かさせ放題」でもなんでもありません。
単に大人としての自由意思を放棄し、会社に依存していると言われても仕方ありません。人の不幸の三原則は、依存心、自己憐憫、責任転嫁と言われています。この三原則が正しいのならば、会社に依存している以上、幸せにはなれません。
自由や権利というものは人から与えられるものではありません。求める自由や権利と同等の責任や義務を意識し、自分の行動で自由や権利を探していくことで得られるものと思います。
混沌とした時代。あなたは、どの道を選ぶのか?
これからの日本は、「相手に無条件で尽くせば、褒美が与えられる」、世界で一番成功した社会主義国から、「自由と責任」、「権利と義務」といった、対になる概念のバランスを重視した自由主義国になっていくと言う流れと思われます。
”天からのお恵み”を口をあけて待っていても、何も与えられない時代になりつつあります。自分で考え、自分で責任を負い、自分で決めるということはストレスなことですが、自分は留まるのか、歩むのかを決める時期にあると考えます。
労働基準法の関連条文
専門業務型裁量労働制
【要件1】
使用者が、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定により、
【要件2】
次に掲げる事項を定めた場合において、労働者を第1号に掲げる業務に就かせたときは、
【効果】
当該労働者は、厚生労働省令で定めるところにより、第2号に掲げる時間労働したものとみなす。
企画業務型裁量労働制
【要件1】
賃金、労働時間その他の当該事業場における労働条件に関する事項を調査審議し、事業主に対し当該事項について意見を述べることを目的とする委員会(使用者及び当該事業場の労働者を代表する者を構成員とするものに限る。)が設置された事業場において、
【要件2】
当該委員会が、その委員の5分の4以上の多数による議決により次に掲げる事項に関する決議をし、かつ、使用者が、厚生労働省令で定めるところにより当該決議を行政官庁に届け出た場合において、
【要件3】
第二号に掲げる労働者の範囲に属する労働者を当該事業場における第一号に掲げる業務に就かせたときは、
【効果】
当該労働者は、厚生労働省令で定めるところにより、第三号に掲げる時間労働したものとみなす。


